美しい怪物たち
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COMITIA122に頒布したオリジナル小説集を4年ぶりに再販いたします。 「美しい怪物たち」をテーマに、兄に付き従う人形のような娘、軟禁した美しい少年から感じる初恋の残骸、妹を自分好みに躾ける外交官の兄、厭世的な大学教授を慕う女学生、恋する女の子を自分のものにするために大嫌いな男と寝る女の子、自殺した恋人の首を浅く埋めて花の種で飾り立てる青年、などを取りそろえております。 表紙、挿絵をとわさんに描いて頂きました。有難うございます。 ・Kの肖像:123ページ(60835字) ・先生と私:21ページ(8602字) ・フェティッシュ:18ページ(6879字) ・twin's:18ページ(6598字) が収録されております。お味見は下記からどうぞ。 7000字程度の小説が3本、Kの肖像のみ6万字強とそれなりに量はご用意しております。 *イラストを担当して頂いたとわさん Twitter:@Howllzm
お味見品
1.Kの肖像 * 贅を凝らしたつくりもののような美しさを持ちながら、人の匂いがする少年。それが私のKの印象だった。 Kの瞳は紅い。充血している訳でもなく、正常な状態で虹彩が紅いのである。私が見詰めているのに気付くと「怖いでしょ。俺の目、紅いし、不気味だよね」とKが自嘲するように笑った。「いいえ。宝石みたいでとても綺麗」と返した。宝石箱に仕舞いたいくらいよ、とも思ったが、口の中に籠らせた。 Kは何となく人間ではないような気もした。根拠と云えば目が紅いことと、とてもとても美しいというだけなのだが。 ** Kにご飯を作った。料理どころか台所に足を踏み入れたことすらない私に料理を教えてくれるKを何時までも付き合わせるのは申し訳なく思い、書庫から料理の本を探して研究するなどした。勿論、ページは自分で捲った。 初めてKに作ったのは野菜のスープだった。形も不揃いで茹でる順番も適当だったからか、根菜は固く葉菜は水分を吸い過ぎてほろほろと崩れていた。一口啜ってみると塩と胡椒だけで素材の旨味が一切ない、つまらない味がした。兄やKが作ってくれたスープとは雲泥の差だった。けれどKは一匙掬い、尖らせた唇にそのスープを流し込むと、 「美味しいよ」 と云った。Kに気を遣わせた情けなさで泣きたくなった。こんなもの美味しいなんて言わないで、と鍋を放り投げたくもなった。けれどもKは固い人参を噛み締め、ほろほろのほうれん草をスープと一緒に流し込み、鍋いっぱいのスープを完食してくれた。スプーンを皿の手前に置いて「ご馳走さま」と云った。 「美味しくなかったでしょ。人参、固かったでしょ。ごめんね、美味しく作れなくてごめんね」 喉の奥から搾り出すような声が出た。拳から血が出るくらい握り締めていた。今の私はぴんと張りつめた糸のようで、何かの均衡が崩れれば大声を上げてわんわんと泣き出しそうだった。けれどもKはこちらを振り向くことなく、 「次はおかずも作ってよね」 と云った。 *** 「お願い。ずっとずっとここにいて。何処にも行かないで、私にはあなたを愛すことしかないの。私の人生丸ごとあなたの自己愛にあげる」 「君が俺に飽きない限り、俺はずっと典子さんの傍にいるよ。俺には典子さんしかいないから」 「うそばっかり。あなたは、自分しか好きになれないんだわ」 「うん。でも、綺麗な言葉のほうが好きでしょう?」 **** 「私の何処が好き?」 「俺を愛してくれるところだよ」 「他には、ない?」 「他にも必要?」 「いいえ」 これほどまでに何かに執着したことがこれまでにあっただろうか。いいえ無かった。父が死に、母が中村の家に嫁ぎ、連れ子であり中村家の血が一滴も入っていない私は居場所を失った。呼吸すらままならない中、私を厄介払いしたい父が持ってきた縁談に首を縦に振るだけの人形と化した。はい、その方の元にお嫁に行きます。この言葉を何度吐いたか分からない。兄がその度に私のことを見つめていた、兄が私に向ける瞳の色の意味も分からなかった、否、ほんとうは分かっていた。分かってはいたが目を逸らした。兄が両親を殺したと知って尚私はその事実から目を背けていた。兄に逆らえば私は生きてゆけない。都合の悪いことは忘れ、兄の思うままの妹、否、お人形となる。父好みの人形から兄に愛されるための人形になっただけで大差は無かった。両親が死んで兄と二人きりの生活を送るようになっても私が呼吸できる酸素は存在しなかった。 何もかも兄から与えられ作られた存在である私が唯一生み出せるもの。この美しく残酷な怪物に捧げられる唯一無二のもの。 「其れが聞きたかったの」 願わくば私の人生を喰らい尽くして欲しい。あなたという怪物に何もかもを捧げられるならそれは何と幸福だろうか。Kの腕の中は煙るような花の香りがした。私はKの腕に包まれ、ゆっくりと目を閉じた。 「愛してる」 2.先生と私 * 私は彼を"先生"と呼んでいた。先生は大学の教員だった。私は先生の教え子の一人であった。 私は出席率の悪い先生の講義を毎回受け、暇があれば足繁く研究室に向かった。なぜ一年生であった私はさして評判が良い訳でもない先生の講義を選択したのか、それはもう覚えていない。何分もう四年も前のことだ。直接の先生の記憶だけは今なお鮮明に引き摺り出すことができるが、きっとこれも数年と経つ内に薄れてゆく。私があの日先生に惹かれたという事実だけが、これからも確かに存在し続けるのだろう。 初めて先生の講義の授業を受けた日。友人のいない私は、前方の席に一人で腰掛けた。辺りは春特有のぎこちなくも浮ついたお喋りで包まれ、一人でぼんやりと座っているのは私くらいのようだった。 近くで談笑している同世代の女の子は、ピンク、水色、エメラルドグリーン、オレンジなどの華やかな色に身を包んでいて、誰よりも美しく咲き誇ろうとし、結果どうしようもなく埋没していた。暇だから弄んでいた、私のばっさりと切り揃えられた黒髪がさらさらと白い指先から零れ落ちる。薄手の黒い生地の裾に白いシフォンのあしらわれたティアードワンピースにこれまた黒のカーディガンを羽織った私の格好は、大よそうららかな春の季節には似つかわしくないものであった。 「先輩に聞いたんだけど、この先生の授業は楽勝らしいよ。出席点もないようなものだし、定期試験の一、二回前くらいに出ておけばいいんだって」 「うっそ!だったら今日バイト出れたのになー」 「最初のうちくらいは出ておかないとまずいんじゃない?幾らなんでも、最初から受講生がいなかったら問題でしょ」 「あはは、段々学生が減っていくほうが酷いと思うけどねー」 彼女たちの会話には全く興味をそそられなかったが、聞いていると退屈は凌げた。私はまだ見たことのないこの講義の先生を不憫に思ったが、かといってそれでは私が皆勤生になり先生の弟子となりましょうと思えるほど単純で慈悲深い性格ではなかった。 そうこうしている内に先生らしき男が壇上に上がった。講義が始まるようだった。 声を張り上げているという訳でもなく寧ろ気怠げでもあるのに、良く通る声だった。少し高めの滑らかな声が鼓膜に心地良く響いた。好きな声だなぁと感じた。当時の私にとっては講義の内容より先生の声のほうが印象深かった。私はノートも取らず、先生の声をぼんやりと聞いていた。 それが私と先生との出会いだった。少なくとも私にとっては。 ** 「友人がいないのです。それだけでなく、必要だとも思えないのです」 「そりゃまた何故です」 「良く分かりません。ただ、他人に合わせるということがとてつもなく苦痛なのです。かといって在るがままでいて受け入れてくれる人なんている筈もない。だからずっと一人でいます。黒を好んで着る理由は、単に落ち着くからです。でも衣服って、どんなに文化的に意味を持たせたところで本来そんなものではないでしょうか?だから私は黒にしか身体を任せられず、ずっと黒に身を委ねているのです」 「ずっとって夏でも?」 「毎年そうです」 「暑くはないのですか。今年は猛暑だと聞いていますが」 「毎年、暑いです。でもあまり華やかな色は、なんだか着ていて恥ずかしくなります。ピンクなんて、着ているだけで罪悪です。だったら零れ落ちる汗をハンカチで拭います」 私は先生の質問に一つ一つ答えた。私には時間ばかりが有り余っていた。金を使う趣味もなければ心底打ち込める何かを持ち合わせていなかった。私には情熱と云えるものがなかった。 他人に春らしくない格好をしていると云いつつ、先生自身も全身を黒で装っていた。まるでおろし立てのように皺一つない、シャツ、ネクタイ、ズボンは真っ黒で、釦は一番上までしっかりと留められていた。先生のほうこそ、軽く汗ばんでくるこの季節にそれは暑いのではないのだろうかと他人事ながらぼんやりと思った。 3.フェティッシュ Fetish ――――フェティシズムにおける崇拝の対象となるもの。盲目的信仰物。 * その日私ことMは、楽しい気分だった。ずっと憧れだった先輩に告白をしたら、「実は俺も気になってて」なんて、夢のような言葉を貰ってしまったのだ。次の日、恋人なんだからデートをしようと誘われた。喜び勇んだ私は隣の部屋のFに服を見立ててもらって、メイクまでしてもらった。先輩は私をお姫様みたいにエスコートしてくれた。「ランチは外で食べたから、夜は家で食べようよ」と誘われたので、先輩の家に行った。先輩のパスタは美味しかった。ご馳走さまです、と言い終わると同時に押し倒されていて、気が付いたら処女を捧げていた。初めては痛かったけれど、先輩が気持ちよさそうにしていたから私も嬉しかった。その晩は、先輩の家に泊まった。 ** 「さっき、殺してやりたいほど大嫌いな男と寝ました」 「そう」 「ぜんぜん良くなかったです。無我夢中で、わたしの演技にも気付かない馬鹿な男。あんな男はあなたには相応しくないわ。ねぇ、」 Fはいっそう笑みを深めて、楽しい内緒話でもするかのようにこう囁いた。 「セックスしましょう」 思わず腕の下にいる女を平手打ちしていた。口の端から血を垂らしていても、その女は美しかった。 「痛いです」 今度は拳で殴った。 「Mは、わたしを殴りたかったの?」 「いいえ。殺してやりたいわ」 「そうですか」 でも、Mは今晩私とセックスしますよ。とFは女神さまみたいな顔をして言った。訳が分からない。自分の恋人を寝取った女と、セックス?それも、同性同士で。 「頭おかしいんじゃないの」 そう私が云うと、Fは不思議なものを見るような眼で私を見つめるのだ。 「でも、きっとMはわたしとセックスしますよ。だって、わたしがそうのぞんでいるんだもの」 「は、……」 「男でも、女でも、わたしの望みを叶えてくれなかった人はいませんでいた。みんな、優しいの」 まるでつくりものの人形のように微笑む目の前の人間に私は恐怖を覚えた。人間?こいつが?少なくとも、私は微笑むだけで膝を震わせることができるような人間を知らない。 目の前の女が人間でないなら何だというのだろう、怪物、異形、化物、脳裏に浮かんだその言葉のどれもが目の前の存在にしっくりと当て嵌まった。 「この、化物」 「よく言われます。特に、大好きな人に。でも、みんなそう云いながらわたしから離れないのよ」 まるでごく当たり前の事実を述べるかのようににっこりと微笑む自己中心的な女神さま。確信めいたその声は、これまで聞いたどんな声より甘く、そしておぞましかった。まるでそうであることが正しいことのように思えた。彼女から離れようとしている私のほうが、神に逆らう異端のようだった。 4.ツインズ(pixiv投稿作「砂糖菓子の火葬」「花葬」のアレンジ) * 彼女を埋めた。浅く埋めた。顔がちらりほらりと見えるくらいに、半分、土を掛けた。これでもう、誰にも汚されることはない。 驚くほど無表情なその男は、小さく、 「綺麗だ」 と呟いてから、それきし黙々と死体に湧く死虫取りに勤しんだ。 ** 夕暮れ時のお茶が一番好きだと彼女は言っていた。一日が終わる幸福と侘しさ、後悔と人々のさざめきが混ざった中で飲む一杯のお茶は格別なのだと、少し澄まして話してくれた。 「愛している人か少しあこがれの人と遠い旅に出たいわ。愛する人は、隣にいてもいいし、トランクに詰めても、詰められてもいい。わたしをそばに置いて、どこか遠いところへ置いてきて欲しいの。寧ろ、荷物にして欲しい。地名も覚えていないところに置いてきて、戻りにも行けなくして欲しい。手放すことで、無くすことで、きっとその人はわたしをいつまでも覚えていてくれるでしょう?」 「愛している人、か。あこがれの人はともかく、愛している人に僕は含んでくれるのかな。そうしたら、僕は君をトランクに詰めて旅をしなければならないのかな」 彼女は、隠していた悪戯がやっと見つかった子供のように幼く笑って言った。 「ダメよ。だってあなたは、きっとわたしを置いてきてはくれずに、自分が荷物になって置いていかれてしまいそうでしょう。私たちはまるで双子の様に似た者同士だけれど、相性は良くないみたいね」 彼女はそうは言いつつ、とても幸せそうに笑っていた。 *** かつて彼女は僕のことを双子のようだと言ってくれた。僕は彼女程トんでいる存在はいないと思っていたし、自分のことをただの凡人だと思っていた僕にとってその言葉は到底受け入れ難いものだった。けれど僕は彼女が死んでから、とても凡人とは言い難い行動をしているのが自分でも分かった。僕という双子のような存在がいることを、彼女は生前から分かっていたのだ 彼女に出逢わなければ孤独なんて知らずにいられたのに。事実、僕はこれまで何をしていても何処で独りでも孤独なんて感じたことはなかった。何故なら僕にとって一人でいることは余りに当たり前なことだったから。けれども彼女という存在があることを知ってしまった僕は、これから先の人生を孤独と共に歩んでいかなくてはならない。彼女の言葉を聴き取れるのが僕だけだったように、僕の言葉を本当に聴き取ってくれる存在も、彼女だけだったのだから。 ねぇ、僕だって君より先に死んでしまいたかったんだよ。君が泣いていても僕には手を握ることしか出来なかった。君の哀しみを本当の意味で共感し、共に泣くことが出来なかった。どうして僕と君は同じ存在に生まれなかったんだろうって、手を握りしめながらそう思っていたことを、君は知っていたんだろうか。